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メンデルスゾーンの人生

発表会の曲の参考に、メンデルスゾーンの伝記を借りて読みました。

1809年2月3日生まれで、今年生誕200年。たまたまなのか、この本は今年の4月に出たばかりの児童書です。

2週間前に借りて今日が返却期限。全然読んでなかったので、会社帰りに図書館で読書。2時間かけ、読み終え、返却してきました。

なかなかにすごい人生で、家に帰ってからもぼーっとして、ピアノの練習できませんでした。

さて、メンデルスゾーンの人生。手許に本がないので、うろ覚え。間違っているところもあるかもしれません。

名前はフェリックス。ベルリンの銀行家の長男に生まれたユダヤ人。大変裕福な家庭ですが、両親はしつけにとても厳しく、またドイツ社会でユダヤ人が生きていくためには教育が大事、と学校へは通わせず、家庭教師をつけ、音楽のみならず、語学、文学、絵画、などなど子供たちにお金をかけて教育を受けさせます。フェリックスは天使のような容姿で、学問もよくでき、スケッチも運動もうまく、ピアノも上手。小さいころから作曲もし、「モーツァルトの再来」と言われた天才でした。12歳のときに72歳のゲーテの家に滞在し、非常に気に入られます。10代のころは合唱団の指揮(指揮者の音楽性を演奏者に伝えて演奏するという形式を取ったのは、メンデルスゾーンが初めてだとか)をしたり、忘れられていた(!)大バッハの『マタイ受難曲』を公演し、非常に高い評価を得ます。

しかし、ユダヤ人への風当たりがきついベルリン。20歳になったフェリックスは親の資金援助の元、ヨーロッパ外遊の旅に出かけます(5ヶ国語が話せたらしい)。最初に訪れたロンドンで、演奏や指揮、作った曲のお披露目をしたところ、人々は熱狂的に迎え入れてくれました。ベルリンの田舎とは違う大都市ロンドン。スコットランドにも旅し、新しい曲も作り始めます。イタリア(ベルリオーズと知り合う)やパリ(リスト、ショパンと知り合う)も訪れますが、根が真面目なフェリックスには街の雰囲気と折り合いがつきません。ドイツに戻ったフェリックスは音楽祭の音楽監督を依頼され、デュッセルドルフに滞在します。ここで厳しく指導するのですが、楽団員の向上心のなさなどに幻滅。作曲の時間もなく、イライラが募ります。

そこへ、バッハのお膝元、ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者の口が。ここでフェリックスは自分の指導を受け止めてくれる楽団員に接し、管弦楽団の名声を高めます。新しいベートーヴェンの交響曲9番を「ベートーベンの最高傑作」とまで言わせるぐらいの指揮をしたり(初演はお粗末で、あまり人気は出なかったらしい)、シューマンや自作の曲の初演をしたり。しかし、ここでもライプツィヒ音楽学校を作るために政府への書類(お役所はいつでもどこでも一緒なのか?)を何度も書き直したり、学校が出来れば生徒の指導をしたり、と多忙を極めます(性格上、仕事を他人に任せることができなかったようです)。また、ベルリンの王様から宮廷の音楽長に誘われるなど移動も多く、最愛の姉の死亡などの心痛が重なって、38歳9ヶ月の若さで亡くなります。最期の言葉は、「疲れたよ、ひどく疲れた」。私には過労死にしか思えません。親交のあったイギリスのヴィクトリア女王からもお別れの言葉が。

死後、ワーグナー(フェリックスのサロンに出入りしていたのに)が別名義で発表したユダヤ人(=メンデルスゾーン)を非難する論文が元で、あまり評価されなくなってします。メンデルスゾーン銀行もヒトラーが出てきて廃業(余談ですが、ロスチャイルド家もユダヤ系の銀行家)。

メンデルスゾーンといえば、『結婚行進曲』や『バイオリン協奏曲』が有名な作曲家ぐらいにしか思っていなかったのですが、非常に素晴らしいピアニストであり、指揮者であり、指導者であり、作曲家であったことを初めて知りました。

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